ジャニヲタでよかった話@過去編
どうも。
風邪引きました。
あなたの風邪はどこから?って某CMからいくと喉からタイプの私ですが、 シリーズ化させたいジャニヲタでよかった話。
今回は過去編。
母親はマッチ担、幼稚園児の頃からKinKi Kidsの硝子の少年を両親に強請り(結果実家には3枚の硝子の少年がある)、テレビの前で全力でダンスしてた私ですが実際にその本能を再び開花させたのは小5の時でした。
私をよく知ってくれてる親友といえる友人たちには幾度となく話してきた小学校5年からやってくる私の暗黒期とも言える時代(約4年間)に、私に手を差し伸べてくれた人こそ、KAT-TUNで活躍されている亀梨和也くんでした。
当時、ごくせんや野ブタが大流行りしていたあの時代にもはや青天の霹靂のように私の目の前にやって来たその人たちは、"俺は俺"オーラを出しまくり、当時ほかのジャニーズとは一線を引いた存在で、私は憧れ、少しずつジャニヲタを開花させていったのです。
暗黒期といいましたが、平たくいえばいわゆる女子同士のイジメに合っていた私は、彼らに熱を入れることで、1人でいるときも好きな彼らのことを考えていれば楽しかったし、イジメに加わらず仲良くしてくれるそんな友人もいたので、その仲間内でのチャットや交換ノート(懐かしい)というのが楽しくてそればっかりしていました。
結局イジメても、泣いたりも喚いたりもしないのでつまんねぇやつだなと思われたのか実際に敵視されたのは1ヶ月間くらいだったかとおもいます。
ただこの1ヶ月間でちょっとした人間不信におちいったので、性格も行動も元に戻るまで3年以上かかったのは事実。
やっぱりイジメはダメ、ぜったい。
そんなこんなで、しばらくは尖りまくってたデビュー当時のKAT-TUNを追っかけていた私ですが、大好きな人のスキャンダルは突然やってきたのです。
忘れもしない小6の修学旅行の朝。
そうです、たしかあのとき付いていたのはめざましテレビでした。
大好きだった人に彼女がいた。
それも年上の女優さん。
なぜかあのときめざましテレビではわざわざ顔写真をつけて報道の内容をわかりやすく解説してくれていたのです。
せっかく楽しい修学旅行もなんだか気分下がりまくって大変でしたが、某テーマパークにいけるということもありなんとかその場は持ちこたえましたが、しばらく経つとどうしてもいままで通りには見れない。
しかし出会い突然に。
私は当時ビデオ屋さんでビデオを借りて家で見るということを専ら行っていたのですが、
奇跡の出会いは南くんの恋人という一本に出会ったから。
そこから二宮和也という存在を再認識(亀梨和也を応援してたときに同じ漢字のひとがいるんだなぁーと思ってた)し、大好きだった花より男子の主題歌*1を歌っている嵐の一人だったことなど少しずつ点が線へと変わっていくのでした。
しかも幸せだったのは、おばさん(ミーハーかつジャニヲタ)が友人から譲ってもらったチケットで嵐のコンサート*2へ連れて行ってもらったこともあり、そこからただでさえハマっていた二宮和也という存在にズブズブとハマり、呆気なく亀梨和也から二宮和也に担降りしたのでした。
しかもちょうど私がズブズブの沼に入ったタイミングで、硫黄島や鉄コン筋クリートなど映画の番宣であったり、CM、雑誌とあらゆるところに二宮、二宮とお祭り状態だったこともあり、傷ついた心は見事に二宮和也の手によって回復していくのでした…。
さて、こうして新たな心の支え二宮和也を得た私は小学校を卒業し、中学校へと進んでいきます。
小学校時代はこうしてジャニーズタレントの手によって自分にとっての心の拠り所ができ、例え嫌なことがあっても少クラや音楽番組をみて癒されて、時には一緒に盛り上がることでストレスを発散していました笑
いまでも思うのはジャニヲタじゃなかったら今の私はいないなってこと。
当時、私は自分がイジメにあっていることを両親にも学校の先生にも相談出来ませんでした。
(ちなみに高校生になってから両親に昔話として話したときには、知ってたけど黙ってたのよって言われて、その時は1人で悩まなくてもよかったじゃーん!ってなったけど。笑)
だけど、私には大好きで応援したいって思える人達がいて、その人達のおかげで乗り越えられたなって感じています。
私は、ズブズブの沼に入っちゃってもはやジャニーズの無い世界なんて生きられないんじゃないかな!!とか思ってます笑
でもほんとにジャニヲタでよかった!!!
中学以降からは友人編と題してお送りしたいとおもいます!
今回も全然文章力なくて読みにくい内容ですいません!
最後まで読んでくれてありがとうございました!
*1 WISH/嵐
*2 2006年 「ARASHIC * ARACHIC * ARASICK * Cool&Soul」長野 ビッグハット